過去への微笑

そんなのあったなと過去の記憶に微笑を

呼ぶと返事が「ラ~イ」でかえってくる友人。

なんかそんなのあったなと思いながらも、これといって突っ込むこともなく会話を始め、最後それではと、別れの挨拶で再び「ラ~イ」と残して去ってゆくその後ろ姿を、しばらく眺めてしまいました。


時代の流れ、ブーム、
好きなお笑い、好きな音楽、好きな俳優女優、好きな作家、好きな映画。

みんな好みが違うのって不思議で面白いものです。

なんでそこ?なんでそれ?なんでなんで?

興味・関心ごとの相違、はまるツボの違い。

だけど、多くもある共通点。


自分にとってはどうでもいいことだけど、その人にとっては重要なこと。

その人にとってはどうでもいいことだけど、自分にとっては重要なこと。

お互いどうでもいいこと。

お互い重要なこと。


会話にはいろんなパターンがありますが、

好きなアーティストの話をしてるとき、
ある友人が「この前焼き肉屋さんで見たよ。○○といっしょに来てた。あの2人付き合ってるみたいね。」

なんてサラッと言うもんだから、「え~っ」となってしまいました。

マスコミにもどこにも出てこない情報ではないですか。それホント?

本当に見たというんだからそうなんでしょう。

友人にとってみればどうでもいいことなんですが。

勝手に自分だけが驚いてる感じでした。


また別の知り合いにもTVでみる「○○と、従兄なんだ。子供の頃はよく一緒に遊んでた。」と言われると「へ~そうなんだ・・言われてみればなんとなく・・・と勝手に解釈したりしてしまいます。

友人たちに嘘つきはいないのでそのまま言葉を受け入れてます。


時代は膨大な量の情報が押し寄せてきます。

新しいものがやって来て、古いものが記憶の片隅に蓋をして収納されてゆきます。

これはいる。これはいらない。を繰り返しながら。

見る、聴く、読む。

こっちはすっかり忘れてるけど、相手はしっかり覚えてて、そんなのあったなと思い出すこと

ある曲を聴くとそのころの景色が蘇ってくること。


ときに何かのきっかけでふとその蓋が開くと、当時の記憶がふわっと現れて来て、そんなのあったな・・と少しだけ懐かしくもそのあたりの記憶に微笑みを返してみるのもちょっといいものだなと感じます。


過去の記憶の収納棚から、その当時まったくどうでもいい役に立たないと思われたものが役に立つ日がくるのかもしれないので、うまいこと整理しながら日々を過ごしていきたいものです。


そして、いつの日か、ああ、そんなのあったなとみんなで盛りあがって話が弾むことでしょうから。

お互いどうでもいいことだったけど、時が過ぎ、お互い重要なことになっているかもしれないのです。


次々と収納されてゆきますが、

そんなのあったなと未来の自分が微笑みの中で楽しんでいるような、

そんな今を、そんなひと時を刻めるように。